ALSと安楽死の問題について

Medical Life Science Laboratory

ALS患者に薬物を投与して死なせた医師2人が嘱託殺人の容疑で逮捕されました。被害者とされる50代の女性は長く死を望んでいたことがわかっており、医師の行為が法的、あるいは倫理的に罪に問われるべきか、社会的な議論が高まっています。

■「生き地獄」といわれるALSの実情

マスコミで報じられている患者側の状況を整理すると、次のようになります。

・50代の女性患者はALSを患っており、以前から自殺を希望していた。

・SNS等で容疑者となっている医師と知り合い、安楽死を依頼した。

・医師2人は女性宅を訪れて薬物を投与して死にいたらしめた。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は筋肉の動きを司る神経が障害を受ける原因不明の難病です。発症すると、全身の筋肉が少しずつ動かせなくなっていき、やせ衰えていきますが、感覚神経や思考、内臓の働きは正常に保たれます。

進行するにつれ、歩けなくなるのはもちろん、言葉を発したり、自力で食事をとったりすることが困難になっていきます。生きていくためには人工呼吸器や胃ろうが必要になり、自宅で過ごしたければ、家族等の看護が欠かせません。

現在のところ、有効な治療法はなく、発症から平均3.5年で死にいたる、といわれています。患者にとっては精神的な負担が特に大きく、筆者も自らの状況を「生き地獄」と語る患者に出会ったことがあります。

■生命の処分と滑り坂論……問題はどこにある?

もし自分が、そんな病気になってしまったら……そう考えると、医師による死の提供はたいへんありがたいだろう、と感じる人が多いのではないでしょうか?

筆者も我がこととして考えると、ある程度の段階で死を希望する可能性が高いと思います。しかしながら、身体の自由が利かないので、実現するためには人の手を借りるしかありません。

手を貸してくれる人が医師であれば、苦痛をコントロールしてもらえる安心感があります。「医師による死の提供」を極めて自然なチョイスだと感じるのは筆者だけではないはず。

しかしながら、安楽死については違法性を含め、いくつかの問題点が提起されているのは事実です。

①生命処分の自由を認めるか否か

自殺は悪とする倫理観は国内外で根強く、多くの宗教が自殺を禁忌としています。近代の法理論でも大きな論点となっていますが、ドイツの法学者、ルドルフ・シュミットは「生命という法益は例外なく処分可能な個人法益であり、ゆえに同意殺人のような場合も、法益侵害はない」と語っています。

②安楽死を認めるべきか否か

少しややこしいのですが、安楽死と尊厳死という言葉があり、それぞれ意味している事柄が異なります。もっとも大きな違いは行為の積極性です。人工呼吸器の装着や胃ろうの設営など、「やらなければ死につながる治療」を控えるのが尊厳死。一方の安楽死は「死にいたる薬を投与する」など、尊厳死に比べて積極的に死に導く行為です。

国内では一定の要件を満たす尊厳死は認められていますが、安楽死については容認されていません。報道の通りであれば、今回の医師2人の行為は安楽死にあたる、と考えられます。

③滑り坂理論への危惧

ある行為を認めると、歯止めがきかなくなってより大きな問題が発生してしまう、というのが「滑り坂理論」です。

安楽死についても、解消のしようがないひどい苦痛に悩む人が死を選ぶことを容認すると、同等の障害を持つ人に対して、「どうして生きているのか」というプレッシャーを与えるようになりかねない、と心配する声が上がっています。

■先進各国は安楽死容認に進んでいる

上記の問題のうち、①については各個人が死生観や価値観に基づいて判断することであり、簡単に結論が出る論点ではありません。ただ、個人の権利について「死んでほしくない」と家族が抑制するのと、社会が抑制するのとでは事情が異なります。

近代において国家等の社会が個人の権利を抑制できるのは、公共の福祉に対して大きな影響がある場合に限られることを議論の前提とすべきでしょう。

滑り坂理論により、「他の社会的弱者」の生きる権利を脅かしかねない、という指摘はまさに個人の権利とその他大勢の利益がぶつかる論点と言えます。

ただし、病状に大きな苦痛を感じるALS患者にとっての安楽死が唯一の解決策なのに対し、滑り坂理論は「個人に対する死の押しつけ」という明らかに間違っている行為に社会全体が「ノー」という意思表示をすることで制止できます。

そういった理論から、先進国では安楽死を認める傾向が強まっています。象徴的なケースとされているのがアメリカの女性、ブリタニー・メイナードさんのケースです。

■安楽死の予定をFacebookに掲載した脳腫瘍患者

重篤な脳腫瘍を患っていたブリタニー・メイナードさんは2014年11月、医師に手渡された薬を自ら服用して自死しました。日本の基準に照らすと、安楽死にあたる亡くなり方です。

ブリタニーさんの脳腫瘍はすでにステージⅣで、余命は数か月と宣告されていました。病状がどのように進行し、死にいたるのかを医師から聞いた彼女は尊厳を保ったまま死にたい、と考え、当時すでに安楽死を認めていたオレゴン州に引っ越します。

SNSで11月1日に薬を飲むことを告げると、彼女のもとにはさまざまな意見が寄せられ、議論の的となりました。

自殺を悪とする声に対して、彼女は「私に自殺を望む気持ちはありません。生きたいと切望しているが、治療する方法がないのです」と語っています。

想像することしかできませんが、今回、国内で問題となっているケースの女性患者も同じような心境だったのではないか、とも考えられます。

その一方、「人は本来、生きたいと願う強い本能を持っているものであり、死を願う人は精神的に病んでいるのだ」と考える人もいます。その場合には、死を願う人に責任能力はないので、自身の判断で生命の処分を決めるのは間違い、ということになります。

■「高瀬舟」に描かれた死なせる温情

安楽死は私たちにとって、まったく新しい問題ではありません。古くから議論の的になってきた課題であり、明治の文豪、森鴎外は安楽死をテーマとする「高瀬舟」という短編を発表しています。

題材として描かれているのは、自殺を図った弟が死にきれずに苦しむ様を見た兄がその手で命を絶ってやる、という出来事です。典型的な安楽死ですが、罪を問われた兄は島流しになります。

鴎外はこの小説について、次のような一文を残しました。

ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。それを救う手段はまったくない。そばからその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。

こういった考えは現代においても特別なものではありません。平成になってからも、患者や家族の希望を受けた医師が患者の死期を早めて罪に問われたケースは8件にのぼります。

特定の状況に陥った場合には、死が最後の救済になること、そうして医師が生の終焉を支援するのにもっとも適した職業であることは洋の東西や時代を問わず、自然な事実である、と言って間違いはないでしょう。

■求められているのはアクセスしやすくオープンな仕組み

これまで紹介してきた事実を踏まえて、今回発生した事件を省みた時、もっとも大きな問題は「死を提供するプロセスの粗雑さ」にあると思われます。

安楽死についても国内には1つの基準が存在します。1991年に東海大学付属病院で発生した安楽死事件を受けて横浜地裁で示されたもので、医師が安楽死を手がける場合には4つの要件を満たすことが必要とされています。

①耐えがたい肉体的苦痛があること。

②死が避けられず死期が迫っていること。

③肉体的苦痛を除去・緩和する代替手段がないこと。

④患者の明確な意思表示があること。

報道されている情報に照らしてみると、④については満たしていると考えてよさそうです。その一方、②については差し迫っている状況ではなかった、とされています。

①については判断が分かれるところでしょう。一般にALSは「痛み」や「苦しさ」を感じる病気ではないとされています。ただ、自分の意思で動かせない身体に、彼女が耐えがたい苦痛を感じていたとしても、不自然ではないでしょう。

それを認めるなら、除去・緩和する効果的な手段は存在しないので、③についても満たされていた、と考えることができそうです。

つまり、状況を整理すると、4つの要件のうち明確に満たされていたのは1つだけであり、その他はあてはまらないか、見方によって判断が分かれる、というのが患者の境遇だったのです。

人の死は極めて個人的な出来事であると同時に、社会に大きな影響をおよぼす出来事でもあります。特に、死刑を含め、他人が恣意的に人の命を縮める際には、非常に丁寧な進行が求められています。

今回、安楽死が大きな問題となっているのは、4つの要件を満たしていない中で、非常被粗雑に「命の短縮」が行われたためです。ただ、そうなってしまったのは、患者が望む苦痛からの開放がそういうやり方でしか実現できなかったからでもあります。

「死」をタブーとするのではなく、人それぞれの迎え方を認めるための議論を深め、終焉を希望する人がアクセスしやすいオープンな仕組みがあれば、健全な終末期を過ごせるのではないか、と思われます。

■まとめ

今回、問題となったのはALSに苦しむ人のケースでしたが、安楽死はすべての人に関わる課題です。自身あるいは家族が回復を望ない病気で大きな苦痛を感じるようになった時、どのような最期を実現したいと願うのか、誰もが一度、考えてみるべきかもしれません。

 

Comments: 1

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